事故の瞬間に時間の進みが遅くなったという経験談をよく聞きます。わたしも経験がないでもありません。そのとき、頭の中で何が起きているのかを探ろうとした実験の記事を読みました。以下簡単に要約して説明します(1)。
実験したのは、ベイラー医科大学のデビッド・イーグルマン博士。被験者は、事故の代わりに45mの自由落下(SCADジャンプというひも無しのバンジージャンプ)を体験します。落ちながら被験者は、腕時計のような装置を見て、短時間ずつランダムに表示される数字を読み取ろうとします。
この表示時間が、地上では読み取れないほど短く設定されているのが実験のミソ。もし人間の知覚がアニメーションのようなもので、ふだんは1秒間に30コマの知覚をしているが、恐怖の体験の最中には100コマ知覚する(だから時間の進みを遅く感じる)ということならば、この素早く変わりゆく数字を読み取れるはずです。
実際に被験者は強い恐怖を、そして時間の進みが遅くなった感覚を味わったと報告しました。しかし、数字を読み取れるようにはならなかったそうです。つまり、知覚の密度が高まったから時間の進みが遅くなったのではないということです。
われわれが時間の進みを遅く感じるとき、知覚ではなく記憶の密度が高まっている。これが博士の説明です。ふだんわれわれは、知覚したことがらの大部分を捨てています。それが緊急時には、何でもかんでも記憶しておこうとするモードに入るため、時間が濃密に流れるように感じるとのこと。
記事の記者は上記のような実験結果を紹介したうえで、次のように解説しています(1)。
このことは、次のことも示唆する。つまり、人生をなるべく長く引き伸ばし、限りある時間の中からより多くの経験を引き出すための最も単純な方法は、日常の些細な出来事に対してもっと注意を向け、もっと感覚を研ぎ澄ませることだと。たとえば、休暇をより長く感じたいならば、砂浜で昼寝するのではなく、新しい刺激を一杯詰め込むことが必要なのかもしれない。
あたかも、いつもバンジージャンプを飛び続けているかのように生きることが、濃密な人生を生きるコツであるかのようです。
はたして、そうでしょうか。
ステファン・レクトシャッフェン博士の著書『タイムシフティング―無限の時間を創り出す』の目的も、同じように時間をつくり出すことです(2)。
私の目的は、もっと時間を造りだして、あなたの生活にゆとりを与えることだ。だがもちろん、 一日を二十四時間から三十時間に引き延ばすつもりなどない。では、時間を造りだすとはどういうことだろう?
それは現在に、今この瞬間に、もっと時間の中に入りこむということだ。現在を意識するその一瞬ごとに、時間が造りだされるのである。
しかし、そのアプローチは「新しい刺激を一杯詰め込む」やり方とは正反対です。今この瞬間に入り込むためには、リラックスして意識を「今」に向ける必要があります。落下への恐怖でなく「今・ここ」への興味を、引き金にするのです。やや抽象的ですが印象的な一段落を引用します(2)。
今という一瞬を切り開いて、そこにあるものとまともに向かい合うすべを身につけないかぎり、私たちの人生はわかりきった結末に向かってすさまじいスピードで突進するだけだ。感覚時間に住めるようになるには、今という瞬間を広げて、そこに楔(くさび)を打ちこんで開いたままにしておく必要がある。私たちがその中に入りこんで、そわそわ気をもまずにのんびり腰を落ち着け、そこで起きていることをじっくり味わえるように。
(1) 脳が加速するとき:「恐怖の時」はなぜ遅い? | WIRED VISION
(2) ステファン・レクトシャッフェン 『タイムシフティング―無限の時間を創り出す』(日本放送出版協会、1997年)