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コンセプトノート

152. 残りの姿

「たしなみ」ある振る舞いの指針

岩波新書の『文章の書き方』という本を読んでいて、思わず付箋を打った箇所があります。

 祖母は、母を失った孫娘にたしなみを教えます。一に髪をみだしてはならぬ。二に裾を乱してはならぬ。三にお下湯を忘れてはならぬ。大切なのは残りの姿である。止むを得ず食べ物を皿に残すなら、残りの姿に失礼がないようにせよ。ものを捨てるならきれいに捨てなさい。

(志賀かう子『祖母、わたしの明治』、下線部は引用者)

この前後が、文章の「品格」を語るところで引用されていました。しかし付箋を打ったのは品格の高さに打たれたからではありません。「大切なのは残りの姿である」というポリシーにハッとしたからです。

「残りの姿」とは、人の眼に残る自分の姿であり、食事に使った皿の姿であり、捨てたゴミの姿。
食べ物を散らかして残すことは、それを眼にするかもしれない料理を作った方だけでなく、残した食べ物そのものに対しても失礼である。
「大切なのは残りの姿である」
は、たしなみを保つための素晴らしい行動指針になっています。

我々の「残りの姿」

試しながら学ぼう。
結果を心配するよりもプロセスを楽しもう。
将来を悲観するよりも「いま、ここ」に集中しよう。
Start Small.

我々はいろいろなことを試します。
その過程では「止むを得ず残す」「捨てる」
という判断をせざるを得ないこともあります。

しかし、試しであれ本気であれ、
何かをやった以上、何かが残ります。

そのとき、自分の「残りの姿」はどうか。
時間を、労力を、人脈を、あるいはなにがしかのお金を、
自分に投じてくれたあの人の眼には
自分の「残りの姿」はどう映っているのか。

振り返ってみると、ずいぶんみっともない「残りの姿」を
晒してきました。
これからは気を配るだけでも挑戦したいものです。