わかりませんと言える人。
これは、nfujishimaさんが始めたメルマガ「かしこい人の見分け方」の事実上の創刊号で挙げられていた「かしこい人」です。
これを読んで、2ヶ月ほど前の週刊誌で見かけた野口悠紀雄氏が書かれていた「わからぬことを率直に聞く勇気」というコラムを思い出しました。
まず冒頭で「転失気」という落語を紹介しています(落語には知ったかぶりをからかったものが多いんですね)。
> 東西落語特選 転失気
次の段落で、「結局は高くつく「知ったかぶり」の代償」と題してもう1つビジネスの現場での笑い話を紹介しています。英語が聞き取れなかったことを正直に言えなかった日本人ビジネスマンの笑い話で、かなり身につまされるものがあります 。
> 「超」整理日記 2003/8/9, 16合併号
(しばらくサイトで読めますが、本として出版される際に削除されるようです)
わかりませんと言える人は正直な人です。そして『社会的ジレンマ』の著者、山岸俊男氏は「正直は最大の戦略である」と指摘しています。
> 信頼の時代を語る。山岸俊男さんの研究を学ぼう。
戦略たるもの目的があるわけですが、この「正直戦略」あるいは「わかりません戦略」の目的は何か。
起-動線的に言うならば「ありたい自分であるため」です。nfujishimaさんのメルマガに戻って考えると、それは「かしこい人であるため」ということになります。
ではかしこい人とはどんな人か。nfujishimaさんは最初の号でそれを定義されています。それは、
「その人が幸せになれる力が大きいかどうか」
ということでした。つまり、
正直であることが幸せへの最大の戦略である。
ということになります。
「かしこい」を漢字で書けば「賢い」。「賢しい」とすると「さかしい」となり、これはうまく立ち回るために策を弄する、ズルを考えるというニュアンスがあります。しかし「賢しい」ことは幸せへの最大の戦略ではありません。
正直であることが幸せへの最大の戦略である。このシンプルな文章は同時に、ただ正直であることの難しさをも語っているようです。
「(自分に)正直である」という言葉は、単純に「快・不快のままに反応する」こと以上の意味を含んでいます。
自分なりの大きな目的に真っ直ぐであるか。そのために目の前の不快やトレードオフを乗り越える覚悟があるか。そんなことまで問われているように思えるのです。