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コンセプトノート

737. 身体的意思決定

怒りを身体で感じ取る

『最高の休息法』という本に、怒りや衝動に対処する4ステップが紹介されていました。

  • 【Recognize(認識する)】 怒りが起きていることを認識する
  • 【Accept(受け入れる)】 怒りが起きているという事実を受け入れる
  • 【Investigate(検証する)】 身体に何が起きているかを検証する
  • 【Non-identification(距離をとる)】 怒りと自分を同一視せず、距離をとる

怒りや衝動に対処する4ステップ (RAIN)*ListFreak

認知行動療法のようでもあり、瞑想のテクニックのようでもあり。思い出しやすいような頭字語も工夫されています。

怒りという情動(emotion) がわき上がってきたことを、まずは「認識する」。ラベリング(言語化)などをして「受け入れる」。そして、「検証する」ために身体に注意を向ける点が面白いですね。情動は生理反応を伴うので、脳よりは身体に聞く方が確実に検証できるということでしょうか。(1)

脳を生かすのも、脳に作話させるのも、身体

脳と身体の関係性といえば、『共感のレッスン』という対談本で興味深い話を二つ読みました。

一つめは、ニワトリの身体にウズラの脳を移植したという実験の話。ウズラの羽をニワトリの羽と交換した程度であれば、その個体はニワトリの羽を持ったウズラと言えるでしょう。しかし交換する部位をどんどん増やしていき、ついに「脳以外すべてニワトリ」になっても、それはまだウズラなのか。

……被検体は、ニワトリの声でウズラのような鳴き方をしたそうです。ということは、やはりそれはウズラで、「身体を着替えた」ような感じなのでしょうか。

実験はさらに興味深い帰結を迎えました。言ってみれば、脳は着替えた身体に殺されてしまったのです。少し長いですが引用します。発言者は植島啓司氏。

結論として、脳がウズラだったらその生命体はウズラだということになるところだったのですが、実はその先があって、その生命体は一週間か十日もしないうちに必ず死んでしまう。なぜかというと、そのニワトリとしての身体がウズラの脳を異物として認識して反撃を開始するわけです。ニワトリの自己免疫反応が立ちあがって脳を殺してしまうということが起こったのです。ということは、この動物にとっての自己はいったいどこにあるかという問題が、再び浮かび上がってくるわけですね。

二つめは、ある行為をしているサルと、それを観察しているサルで、同じニューロンが活性化ししたというミラーニューロンの話。ミラーニューロンの存在は、脳の働きが過大評価されていた可能性を示唆するものです。そのあたりがわかりやすく書かれていた箇所を、やはり少し長めに引用します。

おいしい料理の臭いを嗅いで、よだれを出すときも、外からの臭いという刺激が脳に入って運動系の働きへと指令が飛び、よだれを出すという行為となって現れる、というような手順など存在しないということです。では、どうしているのかというと、リゾラッティ自身も仄めかしているように、感覚器官から入ってくる情報を新たに分析するところから始める代わりに、自分がその刺激に対してどんな反応を示しているかをモニターすることで対処している、ということなのではないでしょうか。

ウイリアム・ジェームズの「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」ですね。喪失 → 情動信号が脳に到達 → 脳が涙腺を緩めるよう指示 → 泣く、ではなく、泣いている自分 → 意識(脳)がそれに気づく → 状況を説明する話を作る(作話する) → 悲しくなる、というイメージでしょうか。

身体は既に決めている、かもしれない

人間の言動の多くが意識下の反射によって支えられていて、脳は逐次その言動を解釈し、筋の通った話を作り上げている。もしそうならば、身体に目を向けることで脳の脚色を見抜くことができるかもしれません。

たとえば、ニコニコしながら話を聞いているけれど、よく見ると貧乏揺すりをしている人がいたとします。本人は気づかないかもしれませんが、傍から見ていると、焦れったい気持ちになっているのだろうと推測できます。

そういえば、つい先日の講義で、ご参加者の発表を聞きながら、やけに細かく速く頷いている自分に気づいたことを思い出しました。ていねいに話を聞こうと思っていたものの、残り時間が気になっていたのでしょう。現場でそれに気づけただけでも進歩だと解釈しておきます。

では、意思決定の局面ではどうか。AかBかを選ぶとき、意識下の結論が身体のどこかに、たとえば身体のちょっとしたこわばり、仕草、声色の変化に、現れているのではないか。

悩ましい決めごとが出来したときに、まず身体に目を向けてみようと思います。


(1) RAINのオリジナルは突き止められませんでしたが、比較的古い記事を探してみると、検証の対象は身体(body)・感情(feelings)・精神(mind)となっています。