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コンセプトノート

726. 早とちりを防ぐ

即断からは学べない

数日前に、いくつかのメディアに面白い研究結果が載っていました。

  • ラットに二択課題を解かせたところ、長い潜時をもった誤選択(つまり熟慮後の失敗)を繰り返したラットが良好な成績をあげました。
  • 「失敗は成功のもと」と言われますが、本発見は、同じ失敗でも、即断による失敗は学習には有効でないことを示しています。また、たまたま正解した経験も成績とは無関係でした。

―― 『じっくりと考えた後の失敗こそが学習を促進する―― 「早とちり」の弊害をネズミ試験で検証 ――』(東京大学大学院 薬学系研究科・薬学部

即断派は、失敗からも、偶然の正解からも、学習しなかった。サイコロをいくら振っても出る目をコントロールできるようにはならないように、意思決定の場数をいくら踏んでも即断即決では学習効果がないということなのか。人間の日常生活に敷衍するのは、それこそ「早とちり」というものでしょうが、示唆的な結果ではあります。

われわれを即断に誘うもの

通常の場面で即断即決というと、直感で決める行為とほぼ同義と見なされると思います。

直感自体は有益な情報です。意識下に蓄えられた個人の(ひいては種としての)経験データベースを基に、特定の状況における近接や回避といった対応を促すために情動を駆動する仕組みが直感であり、熟慮するうえでの根拠になります。ただし、今ここで得られる報酬を求めがちといった偏りもあるので、直感だけに従って行動したくなる気持ち(衝動)には抗わねばなりません。

熟慮の末の結論が直感の示すものと同じになったとしても、熟慮のプロセスを経たことによって選択への確信は深まるでしょう。それは行動へのコミットメントとなって成功の確率を高めていくでしょうし、失敗したとしても、冒頭の実験が敷衍できるならば、将来の成功確率を高めます。

もうひとつ、即断しようとする人に大きな影響を与える因子があります。

シェイン・パリシュは “Your First Thought Is Rarely Your Best Thought: Lessons on Thinking“(最初の考えが最善の考えであることはめったにない:思考のレッスン)という記事で、「私の場合、最初に浮かぶ考えはどこかで聞いた誰かの考えであって、最善の考えだったことはない」という言葉を引用しています。

直感が好き嫌い、快不快といったかたちでわれわれの感情に訴える力を持っているとすると、事例は具体的なアイディアを示すことで、さまざまな選択肢の探索を断念させる力を持っています。常識的なやり方、他の誰かが成功したやり方がわかったのなら、それを真似すればよいではないか、というわけです。

この方略は、多くの場合うまく機能します。たとえば先日スマートフォンに貼るフィルムを買ったときには、通販サイトのカテゴリで一番売れていた商品を買いました。わたしが「考える」人であれば、フィルムに求める効用・価格・納期などの諸条件を考え、実際の商品群をそのフィルターにかけて選択すべきです。いやその前にフィルムを買う目的を突き詰め、ほんとうにフィルム購入が最善の手段かを問うべきでしょう。しかしそのように考えるには膨大なエネルギーが必要なので、購入者レビューや売上ランキングに従うことで楽をさせてもらいました。

ただし、万能ではありません。状況が複雑になるにつれ、真似できる事例は減ってきます。オリジナリティを求められる場合は、事例を真似することはできません。就職や結婚など、自分で決めることに意味がある意思決定もあります。ある程度重要な意思決定においては、事例も直感と同じように「参考にすべきだがそれだけには依存できない」情報です。

「早とちり」を避けるためにできること

われわれが即断するときに頼りにする情報が見えてくれば、「早とちり」を避けるための最低限の条件が見えてきます。

つまり、直感と事例にのみ従って決めてしまわないこと。しかし、無視もしないこと。どちらも有用な情報源ですし、無視すると気づかないうちに影響を受けてしまうかもしれません。

とすると、

  • 決定すべき内容
  • 直感の指し示す内容
  • 自分の知っている事例・知識・最初に浮かんだ考え

を書き出してみるのが第一歩でしょうか。

直感と事例を意識に上らせて、それらだけに依存していないことを確認する。そのうえで、それらを情報の一部として、決める。意思決定の準備運動として取り組んでみようと思います。