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コンセプトノート

661. 特異性信用

特異性信用

 シルビア・ベレッツアが率いる最近の実験では、被験者に一流大学の男性教授を評価してもらったところ、教授たちがTシャツにあごひげという格好のときは、ひげをそってネクタイを着けているときよりも一四パーセント地位と能力が高いと評価されていた。
―― アダム・グラント 『ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代』(三笠書房、2016年)

なぜか。フォーマルな服装の人が多い教授陣のなかにあってラフな格好をしているのは、『自分の好きにしてよいという「特異性信用」をもっているということを意味する』からだと解説されています。

「特異性信用」は1958年(1)に提唱された古い言葉で、Wikipedia(英語版)にもエントリがある (Idiosyncrasy credit) くらいですから、ある程度知られた概念のようです。少数派が、少数派であるがゆえに集団に大きな影響を持つという “Minor influence”(少数者による影響)の一分類だと理解しました。

元の論文を読むことはできませんでしたが、特異性信用とは大まかに言えば「集団の中で信用を積み上げてきた人ほど、集団が求める言動からの逸脱を許されやすい」という理論です。これは経験に照らして納得しやすい話ですね。組織変革は新米よりも古株に音頭を取ってもらった方がうまくいくし、飲み屋では一見の客よりも常連のほうがわがままな注文を聞いてもらいやすいものです。

人の因果関係はつねに返報的・循環的・相補的

特異性信用の議論を読んで、大学院まで自然科学を学んできた自分が社会科学に感じている面白さや難しさの一端がわかったように感じられました。事象の因果関係とは違い、人間同士の因果関係は常に返報的・循環的・相補的なのです。

信用されているから特別扱いが許されるという特異性信用は、原因→結果の関係でいえば信用→特別扱いであって、逆ではありません。他の人から特別扱いされていることを理由に誰かを信用するというのは、本来はおかしな話です(もしかしたら信用でなく恐怖によって特別扱いを受けているかもしれないわけですから!)。

しかし、おかしいから避けるべきともいえません。たとえば、AがとにかくBを特別扱いすれば、Bは「自分は信用されている」と誤解します。その誤解は、ここが面白いと思うのですが、Aに対する信用へとつながります(「返報」性の原理)。Bからの信用が拡大すればAに認められる逸脱も大きくなるので、Aは特別扱いを受けます。そのような「循環」のなかで信用に足る人間であることを示せれば、Aは黙って信用を積み上げるよりも速くBの信用を勝ち得ることができるでしょう。

飲み屋の例でいえば、店が常連でない客にもすこし身銭を切って特別なサービスを提供すると、客が自分を常連と勘違いして足繁く通ってくれるようになる、という話です。

「相補」的というのは次のような意味です。

モノが2つ置かれているとき、外部から刺激が無ければ2つのモノはそこに置かれたままです。しかし人が2人いると、片方が何かを言ったときはもちろん、何も言わない場合でも、その事実がもう片方の心を動かします。何も言わないということは不満があるのだろうか、といった具合に。つまり、一度人間関係が生じると、その関係は静的ではありえないということです。

少しずつ、様子を見ながら

ところで、特異性信用を逆手にとって信用を勝ち得ようとする行為には、リスクも伴います。アダム・グラントはこうも述べています。

 私たちは、現状に異議を唱えようとする立場の低い人物を黙らせようとするが、立場の高いスターの逸脱には目をつむり、ときには称賛さえすることすらある。
(太字は原文のまま)

信用されていない状態で逸脱してみせるのは、ある種の賭けということです。結果が読めない以上、上記のような返報性・循環性・相補性を考えると、信用に限らず人間関係は「こちらから少しだけはたらきかけて、様子を見る」を繰り返すのが穏当な築き方ということになるでしょうか。

(1) Hollander, Edwin P. “Conformity, status, and idiosyncrasy credit.” Psychological review 65.2 (1958): 117.