仮説型研究と探索型研究
『つながる脳』(エヌティティ出版、2009年)で、著者の藤井 直敬氏(理化学研究所 脳科学総合研究センター)は、新しい分野の研究の大変さを次のように吐露しています。
(略)研究を始めて、僕がまっさきに直面した問題がありました。それは研究を行うにあたって、まず証明すべき仮説を説明しなければいけないということでした。(略)実際に社会的脳機能研究に関する講演をして、きちんと結果を示しているのに、「いったい何を証明するつもりなのか、仮説は何なのか?」という質問がよく出ますし、「仮説がないのでは研究の意味がないね」と言われてがっかりしたりします。(略)脳研究はまだ端緒についたばかりなのです。そんな未熟な研究分野には、間違いなく探索型研究と仮説型研究の両方が必要だと思います。
研究には仮説型と探索型があると書かれています。通常は仮説型で、研究の(予算を獲得する)ために証明すべき仮説を提示します。その仮説で研究の価値や難易度が推し量れるからです。一方で探索型と呼んでいるのは、ざっくり言えば「いろいろやってみて、結果から言えることを言う」研究です。
探索型研究の成果から、仮説を立てる材料が得られます。しかし探索型研究は理解されづらく予算も獲得しづらいと、氏は嘆いていました。
探索あっての仮説
ビジネスの世界で研究に近いのは問題解決でしょうか。ビジネスでは一定時間内に結論を、つまり取るべき行動を定めなければなりません。そこで経験を元にして仮の結論(すなわち仮説)をいくつか立ててから、検証を試みます。何の意思決定にもつながらないような、純然たる探索が仕事として認められることはなかなかありません。
しかしたとえビジネスでも、いやむしろビジネスの方が、「探索」の時間があってしかるべきだと思います。
仮説とは仮の答えですから、答えるべき問いがあります。自然科学においては、すべての問いは「この世界を律している原理は何か?」という根源的な問いへとつながっていきます。一方でビジネスには、そのような源が見当たりません。
日常的には「いかにして利益を出すか?」という問いに答えるべく仕事をしています。しかし利益は理念の実現手段。「いかにして理念を実現するか?」という問いがその奥にあります。そう考えると、理念が根源的な問いとはいえるでしょう。
ただ理念は人工的に定められた概念です。したがって言葉としては変わらなくても、外部環境が変わったり構成員が変わったりするにつれて、その意味合いは揺らいだり薄れたりします。ですから経営者は、世の中を探索し、思索を重ね、答えるべき問いを北極星のごとく掲げなければなりません。
誰もが探索的研究者
人生の経営者たる個人に目を転じてみると、自分は仮説Aを検証するために生きている、などという人はまずいないでしょう。人生は探索型研究だと思います。著者が探索型研究について述べている次の言葉も、それを裏付けているように感じます。
何をどのように進めれば何が出てくるかはさっぱりわかりません。とりあえず出てきたもので勝負しなければならないという、苦しさがあるのです。ただ、苦しいからと言ってもつまらないわけではなく、このような探索型研究特有の冒険の楽しみは何にも代え難いものがあります。