自分をくすぐれない理由
ポール・シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?―― ヒトの進化からみた経済学』(みすず書房、2014年)を読んでいたら、「最近の神経科学研究の一風変わった成果として、なぜ人は自分をくすぐれないのかが解明された。」という魅力的な一文がありました。
2000年に、文字通り「なぜ自分をくすぐれないのか?」という論文が出ています(1)。キャッチーなタイトルゆえ、いくつかのメディアが解説記事を書いていました。それらを斜め読みして大まかに理解したのは、こういう話です。
人は進化の過程で、害虫が体を這い上ってきたといった危機的な刺激に対する自動的な反応を身につけました。実際、そっと触られるとぞっとする場合もありますよね。くすぐったい感覚の源はこの反応機構です。くすぐったい箇所が脇の下など柔らかいところが多いのは、そこが虫に攻撃されがちだから。他人の手がそういった箇所に近づくだけでくすぐったくなるのも、ヘビを見ただけで身がすくむ情動反応と似たようなものだと考えると納得がいきます。
そうだとすると、自分が自分に触るときにはその反応を起こす必要がありません。くだんの論文は、その識別を担っているのが小脳であることを突き止めたというものでした。小脳の機能は知覚と運動機能の統合(Wikipedia日本語版)だそうですので、自分の手が自分の体に触ろうとしている状況を把握し、大脳を経由することなく反応を制御できるわけです。これが「なぜ自分をくすぐれないのか?」の答えとなりましょう(運動の訓練と同様、くすぐったがらないように小脳を鍛える、いわゆる「身体に覚えさせる」ことは可能と思われます)。
シーブライトは、「資産の価値は、当事者のものの見方しだい」という話の前振りにこの研究を紹介しています。全体に面白いのですが、こういったややこしい喩えがちりばめられていて、なかなかすらすらとは読めません。
それでも自分をくすぐる方法はある
わたしが興味を引かれたのは、上記の研究者が行った補足的な実験でした。彼らは、ジョイスティックでアームを操作する、くすぐりロボットを開発しました。被験者は目を閉じてジョイスティックを操作します。迅速に反応する(反応速度は0.2秒未満)ロボットだったにも関わらず、被験者は他人に触られたのと同じように感じたとのことでした。結果的に、道具を介したとはいえ、自分で自分をくすぐることは可能だったのです。
自分の意志で自分をくすぐらせるのですから、いつどこをくすぐられるかは正確に予測できます。それでも、ちょっとした工夫で脳をだますことはできるのです。
だましだまし
気が進まないことをするときなどに「だましだまし」という表現を使います。たとえば飽きてしまうような作業をしなければならないときには、小分けにする、ルーチンを作る、逆にルーチンを壊してみるなど、いろいろ試行錯誤しながら「だましだまし」前に進みます。なんとなくその場しのぎのやり方のように感じていましたが、実はそれが合理的なやり方であるケースも多いのかもしれません。
自分をくすぐっても笑えないように、集中しようとしても飽きてしまう、やり遂げようと思っても投げ出してしまう、好意的に(せめて中立に)接しようとしても反発してしまうなどなど、制御したい自動反応はたくさんあります。より集中する、より完遂の意志を込めるといった正攻法以外に「だましだまし」のアプローチも必ずあるはず。くすぐりロボまで作って確かめた研究者を見習って、健全な試行錯誤をしてみようと思いました。
(1) Blakemore, Sarah-Jayne, Daniel Wolpert, and Chris Frith. “Why can’t you tickle yourself?.” Neuroreport 11.11 (2000): R11-R16.