カテゴリー
コンセプトノート

615. 「今・ここ」から脱け出すという進化

未来のシミュレートがヒトならではの意識

意識とは、フィードバックループを用いて世界のモデルを構築するプロセスである。『フューチャー・オブ・マインド―心の未来を科学する』を著した物理学者ミチオ・カクは意識をそう定義づけ、脳の発達段階に合わせて次のようなレベルを見出しています。

  • 意識レベル0:少数の単純なフィードバックループを形成する(植物レベル、脳は不要)
  • 意識レベルⅠ:空間に関して世界のモデルを構築する(爬虫類レベル、脳幹)
  • 意識レベルⅡ:社会のなかでの自分の位置づけを知る(哺乳類レベル、辺縁系)
  • 意識レベルⅢ:未来をシミュレートする(ヒトレベル、前頭前皮質)

意識の時空理論(ミチオ・カク)*ListFreak

それぞれの意識レベルをわたしの理解で解説してみます。

意識レベル0のもっとも単純な例は、温度という1つのパラメータで作動するサーモスタット。植物も、光や水分や栄養素など周囲の環境パラメータの変化によるフィードバックループの産物と見なせます。レベル「ゼロ」という命名は、これが意識の基礎的なメカニズムではあるものの、意識がある状態とは呼べないからでしょう。

意識レベルⅠは、感覚情報を認識している状態。とりわけ自ら動き回るためには、空間に関して世界モデルを構築するために脳幹レベルの処理器官が必要になります。

意識レベルⅡは、感情情報を認識している状態。レベルⅠが物理的な世界モデルの構築を担うとすると、レベルⅡは社会的な世界モデルの構築を担います。他の個体との関係性(戦うか逃げるか)を判断する基本的な情動から、他者の感情や思考を推測する高度な心理操作(共感)までが含まれます。

これらの意識の上位に、ヒトだけが実現できているレベルⅢの意識があります。カク氏は次のように定義しています。

人間の意識は、世界のモデルを構築してから、過去を評価して未来をシミュレートすることによって、時間的なシミュレーションをおこなう、特殊な形の意識だ。そのためには、多くのフィードバックループについて折り合いをつけて評価し、目標をなし遂げるべく判断を下す必要がある。

たとえばパーティで目の前の人に話しかけるべきかどうか。ヒトはレベルⅡ以下の意識からの情報(会話に応じてくれそうか、仕事をくれそうかなど)に過去の記憶(類似の状況での成功・失敗の経験)を加えて、さまざまな未来のシナリオを形成します。望ましければ快楽中枢が、危険であれば眼窩前頭皮質が、それぞれ活動します。それらの、いわば争いを調停するのが脳のCEOたる背外側前頭前皮質。この部位が最終的な判断を下します。

今・ここへの集中は退化なのか

カク氏は未来のシミュレーション能力を高く評価しています。たとえば従来のIQテストに代わる「知能の新しい尺度」を論じている項では、『知能と、未来の出来事について可能なシミュレーションの複雑さとのあいだに、相関がありそうだ』と述べています。

氏が提案する本質的な知能テストとは、たとえば危険な動物がいる無人島からの脱出方法を考えるというもの。『対象者は、生き延びて、危険な動物をかわし、島を出るいろいろな方法をすべてリストアップし、生じうる結果や未来が複雑に枝分かれした因果の木を作り上げなければならない』ため、未来のシミュレーション能力が測れるだろうということです。

印象的だったのは、心理学者ダニエル・ギルバート博士の著作からの引用でした。孫引きしましょう。

「脳が地球上に現れてからの数億年間、すべての脳は永遠の現在に捕まっていた。今日でもほとんどの脳はそうだ。だが、わたしやあなたの脳はちがう。二〇〇万年から三〇〇万年前に、われわれの祖先が、『今、ここ』から大脱走を始めたからだ……」[『明日の幸せを科学する』より引用]

「今・ここからの大脱走」が進化そのものだという言明は、「今・ここにとどまる」というマインドフルネスとの矛盾をいやおうなしに思い起こさせます。マインドフルネスであることは、進化を拒むことなのか。

そうではないはず。わたしが思いつける仮説は、「ヒトは意識レベルⅢの発展途上にある(ので、段階的な訓練が必要)」というものです。考えてみると、意識レベルⅡの途中までは自動化されています。暑ければ発汗する、危険を感知すれば恐怖を感じるといった活動はほぼ意識下で、きわめて迅速・正確に行われます。高度に自動化された状態で生得的に備わっているため、恐怖を感じないようにしようとか強く感じようといった訓練をしようと思っても容易ではありません。

しかし意識レベルⅡのなかでも高位にあると思われる能力、たとえば共感などは後天的に獲得される割合が大きく、また訓練による開発が可能です。さらにレベルⅢとなると、調停者(快楽中枢と眼窩前頭皮質の争いを調停する背外側前頭前皮質)の能力が未熟で、処理に時間がかかったり、すぐにオーバーフローしてしまうのではないでしょうか。

マインドフルネスの先にあるもの

「未熟な調停者」仮説が正しいとすると、「今・ここにとどまる」のは、進化の拒否ではなく進化の準備といえます。

調停者に求められるスキルを、受信、判断、行動にわけて考えてみましょう。

まずは、感覚器官や情動からのシグナルを的確に受信することが必要です。会議でも、声の大きい人や古株の意見だけで決めてしまっては判断が偏ります。ボディスキャン、数息、ヴィパッサナー瞑想といった技術は、感覚・情動・直感的な思考など判断のためのインプットをしっかり捉える力を磨くためと考えるとわかりやすいように思います。

マインドフルネスが八正道の「正念」であることを踏まえると、判断と行動については残りの七正道にヒントを求められそうです。僧侶の小池 龍之介は『考えない練習』で八正道を以下のように分類しています。

ステップ1――自己ルールを課し、ブレない芯を作る
 正思惟(思考内容を律す)
 正語(言葉を律す)
 正業(行動を律す)
 正命(生き方を律す)
ステップ2――集中力を養う
 正定(集中する)
 正精進(心を浄化する)
ステップ3――気づく
 正念(心のセンサーを磨く)
 正見(悟る)

このアイディアを借りて、勝手ながら受信・判断・行動に合うように並べ替えてみます。

ステップ1――気づく
 正念(心のセンサーを磨く)
ステップ2――集中力を養う
 正定(集中する)
 正精進(心を浄化する)
ステップ3――実行する
 正思惟(思考内容を律す)
 正語(言葉を律す)
 正業(行動を律す)
 正命(生き方を律す)
ステップ4――悟る
 正見(悟る)

ステップ4に達するということは、意識レベルⅢが自動化されるということに等しいと見なせるのではないでしょうか。ヒトがそこまで進化したら、ダニエル・カーネマンのいう「遅い思考」は「速い思考」に組み入れられ、脳は新々皮質を作り出すかもしれません……未熟者ならではの妄想はこれくらいにして、まずは「正念」から鍛えたいと思います。