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コンセプトノート

587. セルフコントロールという天使

セルフコントロールという天使

1300ページ超の大著、スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』を訳した塩原通緒氏は、「訳者あとがき」で内容を次のように要約しています。

人類史における暴力の減少には六つの動向(トレンド)があり、それが本書の第2章から第7章をなしている。また、人間には暴力の誘発要因となる五つの動機(「内なる悪魔」)と、暴力の抑制要因となる四つの機能(「善なる天使」)があって、それが本書の第8章と第9章をなす。先の六つの動向は、五つの内なる悪魔のいずれかが、四つの善なる天使のいずれかに打ち負かされてきた過程なのである。

四つの善なる天使とは共感・セルフコントロール(自己制御)・道徳・理性です。このノートではセルフコントロールに注目していきます。

セルフコントロールは、EQトレーニングの中でも人気のトピックです。アセスメントの結果、相対的にセルフコントロールができていると判定された人でさえ、セルフコントロールを改善したい分野に挙げることがあるくらいです。

なぜかといえば、それが成果に直結するからでしょう。一般的には、よい機材が使えたりよい情報にアクセスしたりできれば、よい成果が挙げられます。

しかし知識労働、とりわけ実験装置など設備に依存しない仕事においては、使える外部資源はかなり均質化されています。たとえば、半日だけ使って社内の業務改善を提案することになったとすると、誰もが必要十分な情報にアクセスでき、誰もが必要十分な見栄えの文書を作るソフトウェアを使うことができます。

外部資源が同じなら、重要なのは個人の内部資源をどう活用するか、ということになります。内部資源とは思考・感情・意欲のことで、これらのマネジメントスキルの基礎にセルフコントロールがあります。

著者は現代社会でセルフコントロールが必須の美徳と見なされつつある理由を、こう述べています。
『自然の害悪を手なずけたいま、もはや私たちの災いの種のほとんどは、自らが自らに与えたものだからだ。』

セルフコントロールに影響を与える6つの条件

著者は、セルフコントロールに影響を与える条件を6つ特定しています。

  1. 【仕組み】 行動を適切に拘束すれば自制できる(例:オデュッセウスの戦略/天引き貯蓄/宣言効果)
  2. 【認識】 心象を別のものに置き換えられれば自制できる(例:相手に侮辱されたと感じたら相手が未熟さを露呈したと考える/気を散らす)
  3. 【見通し】 周囲の環境が不安定だと思ったり自分が長生きできないと思ったりすると、内生的割引率が高まる(=無謀になる)
  4. 【栄養状態】 自制心を発揮するには、前頭葉を十分に機能させるだけの栄養(ブドウ糖など)が必要である
  5. 【能力】 自制心はトレーニングによって強化できる
  6. 【社会】 時代によって、自制心の強さが立派だと尊敬されることもあれば、堅苦しいと嘲られることもある

セルフコントロールに影響を与える6つの条件*ListFreak

1 【仕組み】はこちらでつけたラベルで、要するに意志の力にできるだけ頼らずに行動をコントロールすること。オデュッセウスの戦略というのは、誘惑的な歌声で人を捉える怪鳥セイレーンいる海を通るために帆柱に自分を縛り付けさせたというギリシア神話の英雄にちなみ、行動を拘束する仕組み一般を指しています。

2【認識】は、いわゆる「酸っぱいブドウ」戦略です。認識を変えるという観点では、「○○が幸せになりますように」という上座部仏教の「慈悲の冥想」もこのカテゴリに入るでしょう。

3【見通し】もわたしの解釈で命名しました。人は周囲の環境が不安定だと思うほど、また自分が長生きできないと思うほど、無謀になります。ということは、それらに対する【認識】を変えれはセルフコントロール力も高まることになります。だからといって認識をゆがめてセルフコントロール力を高めても、あまり報われることはないでしょう。この条件は、認識のゆがみによって刹那的になっていないかどうかをチェックするために使えます。

4【栄養状態】については、「自我の消耗」で有名なバウマイスターの実験が紹介されています。意志力の発揮はブドウ糖を消費し、それが意志力の低下につながります。しかし血糖値を上げると意志力は回復します。さらには『囚人に栄養補助食品を与えると衝動的な暴力の発生率を低下させられることが示唆されている』という実験も紹介されていました。

5【能力】も同じくバウマイスターの実験から。「意志は筋肉のようなものである」というフレーズを目にしたことがあるかと思います。バウマイスターは自制心がトレーニングによって高められることや、その自制力は生活の多くの側面でも発揮されていくことを観察しました。

6【流行】のところでは、1960年代(のアメリカ)においては自制心を緩めることが礼賛されていたという例が挙げられています。社会(時代・文化・文明)が自制心を尊ばなければ【能力】を高めようという意欲も生まれないでしょうから、たしかにこれも必要な条件です。もしあなたがセルフコントロールを高めたいと願うなら、流行は変えられないとしても、人間関係は選ぶべきということになります。また、もしあなたがリーダーや親であれば、セルフコントロールに価値を置いていることを皆に示した方がよいでしょう。

セルフコントロールを高める3つのステップ

条件としては6つあるものの、自分で変化を及ぼせるものは意外に少ない印象です。現場で活用しやすいよう、3ステップにまとめてみましょう。

最初に、ステップではなく前提として、セルフコントロールは 開発可能な【能力】であるという条件を置きます。本書ではセルフコントロールが遺伝性を持っていることも示されていますが、それでもなおその能力は高められるのです。

  1. チェックする

    セルフコントロールを発揮できる状態かどうかをチェックするという意味です。周囲の状況や将来のなりゆきについての【見通し】、【栄養状態】、【社会】つまり周囲の価値感がセルフコントロールに影響を与えるという事実は、思い出してチェックするに値するでしょう。

  2. 行動を変える

    自制心についての知識やステップ1で得られた知見に基づき、消耗しやすい資源である意志力になるべく頼らない【仕組み】をつくるということです。

  3. 認識を変える

    著者は、気を散らすだけでも衝動を抑える効果があるという実験を紹介しています。先述の慈悲の瞑想以外にわたしがしばしば試みるのは、真反対から考えてみることです。たとえば怒りを感じたときに「もし感謝すべき点があるとすると?」と考えてみたりします。これは怒りの自制ということになります。逆に失敗して落ち込んだときには、「もし何らかの意味で成功と言えるとすると?」「もし相手にも落ち度があるとすると?」などと考えてみたりします。これは落ち込まずにいるという自制です。