怒りは反応、喜びは選択
『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』は、2000年に開かれた5日間の対話「第8回 心と生命会議」の様子を収録した本です。たとえばダライ・ラマ14世とポール・エクマンという、わたしにとってのスターの対話をダニエル・ゴールマンの筆で読むという、なんともぜいたくな仕立て。ずっと読みたかったのですが、なかなか機会が持てずにいる本の一冊でした。
多くの印象的な言葉がありました。代表を一つ挙げてみます。
「肯定的な感情は熟慮の末に起こりやすいのに対し、否定的感情は無意識のうちに生じる場合が多い」(p273)
これはリチャード・デヴィッドソン博士の発言。会議の最終日に、ダライ・ラマの言葉を引用したものです。
たしかに。1日のうち、いつどのように肯定的ないし否定的な感情になっているかを振り返ると、この言葉にたしかな真実味が感じられます。
否定的感情の代表は怒りでしょう。怒りという感情は、ほとんどの場合、怒ろうと決めてそうなるというよりは、否応なく内側から湧き上がってくるものです。
一方で肯定的感情はどうか。理由なくいい気分(mood)の日もありますが、やはり、たとえば上機嫌でいようという意図を持ち、状況を積極的に解釈して肯定的な感情をつくり出すことが多いと思います。
キャッチフレーズ化すると、「怒りは反応、喜びは選択」ということになるでしょう。
理性で生み出せる感情もある
今度は逆に、デヴィッドソン博士の発言をダライ・ラマが言い直している部分を引用します。理性を司るとされている左前頭葉の活性度と肯定的感情の高さには正の相関関係があるという報告を聞いての発言です。
『ダライ・ラマが確認した。「つまり、理性の技術を用いてこの部位(引用者注:左前頭葉)を活性化できるし、そうすることで特定の肯定的感情を促進できるということですね。左前頭葉が活性化すればするほど、意欲、熱意、持続力といった好ましい感情が増えることが、実験によってわかっている」』
このように、原始仏教が徹底した観察で見出した原則が科学で裏付けられたり、逆に理論としてはわかっても実践の方法がわからないこと(たとえば情動の鎮め方)について仏教のテクニックが実践知として役だったり、両者の興奮が伝わってくるような一冊でした。
現在はこの会議からすでに15年が経っているので、情動と認知活動が相互抑制的に働く(=同時に活性化しづらい)といった知見も積み上がっています。しかし読者が内容を既に知っていたからといって、この本の価値が減じられるわけではありません。まったく異なる(ように思える)知の体系に属する両者がお互いに心を開き学び合う、貴重なダイアローグの記録を堪能しました。