ミニレビュー
●職位が上がっても、年齢が上がっても、答えの出ない問い
会社勤めを重ねてきた同年代の友人に、仕事の憂鬱さを語る人が少しずつ増えている。鬱々とした気分の原因のひとつは、仕事の意味や価値を、根本からは問えない閉塞感にあるんじゃないか、とも思う。
「この仕事は本当に必要なのか?」ということ。
身も蓋もない話になりかねない問いだと思うし、多くの仕事は「そう言い切れない」ことを打ち明けるかもしれない。
しかし敢えてそこを検討してみないことには、先人が築き上げてきたビジネスの仕組みのより高度な微調整に、わたしたちの仕事が終始してしまう。それでは働く意味を再構築できないし、救われないんじゃないか。
そんな「身も蓋もない話になりかねない」問いを発しつづける著者は1964年生まれ。本書は2009年刊ですので、仕事の憂鬱さを語る「同年代の友人」は、40歳代の半ばと考えてよいでしょう。
「働き方研究家」を名乗る著者は、2003年に『自分の仕事をつくる』』を世に問いました。すばらしい成果を上げている人や組織は働き方からして違うはずだという仮説をたしかめるため、いいモノをつくっている個人や組織へのインタビューを重ねていきます。
#「いいモノ」の定義や評価方法が気になる読者への補足。この本は「働き方」と「成果」の関係を定量的に分析しようという研究ではありません。もともとは雑誌の連載でした。
そして得たのが「自分の仕事」というキーワードでした。
働き方を訪ねてまわっているうちに、その過程で出会った働き手たちが、例外なくある一点で共通していることに気づいた。
彼らはどんな仕事でも、必ず『自分の仕事』にしていた。」
(『自分の仕事をつくる』)
それからちょうど6年。今回ご紹介する『自分をいかして生きる』は、前著に対する補遺と位置づけられています。インタビュー記事も2つほどあるものの、「自分の仕事」という言葉をさらに掘り下げた、モノローグ調の文章が大部分を占めています。
●「自分がお客さんでいられないこと」
どう掘り下げているのか。たとえば「好きなことを仕事に」という表現。著者は「好きであることと、それを仕事として担うことは、意識やあり方の位相が異なるはずだ」として、よりしっくり来る表現を探します。そして「好きなこと」の代わりに「自分がお客さんでいられないこと」という言葉を見つけ出します。
たしかに、「自分がお客さんでいられないこと」は、より当事者意識が投影された、いい言葉ですね。ずばり「当事者意識を持てること」では、組織対個人という構図の中でよく使われる言葉のせいか、すこし色あせて見えます。わたしも似たような文脈で、やはり言葉を探して、「我がこと」(『クリエイティブ・チョイス』)という言葉に行き当たりました。
組織で働きながら「自分の仕事」を見つけるのは、難しい面があります。組織は原則として、特定の個人にしかできない仕事、つまり属人的な仕事をつくらないようにします。管理職になれば、むしろ積極的な委任が奨励されます。その結果、病気で会社を休んでもきちんと仕事が回っていることを発見して、嬉しいやら寂しいやらということになるわけです。
しかし、属人的に仕事を囲い込まなくても、「自分にしかできない仕事ぶり」を発揮する余地は残されています。誰でもできる仕事であっても、顧客に「(他の誰でもない)あなたから買いたい」、上司に「(他の誰でもない)あなたに任せたい」と認められる余地は、常にあるはずです。
「自分がお客さんでいられないこと」で、かつ自分の仕事ぶりが顧客や上司に認められるならば、それは「自分の仕事」と言えるかな……と思うかもしれませんが、まだまだ。著者の「自分の仕事」に対するこだわりは相当なもので、「他者から認められる」ことの必要性も認識しつつ、それが「他者からの操作」でないかどうかもていねいに、やや疑り深くといえるほど、考えていきます。
例えば、みずからの行動によって部下を方向付けていると語る上司の話を紹介したあとで、こう言っています。「力を発揮することや認められることの喜び、あるいはその仕事に対する愛をつかって、人間が利用されているだけの話なんじゃないか」
●知的で洗練された社会における「奴隷」としての自分
率直に言えば、本編を読んでいる間は、やや「著者の独白につきあわされた」「そこまで回りくどく考えなくても……」という印象がぬぐえませんでした。あの好著から6年後の著作なんだから、もうすこし結論めいたものを読みたいとも。しかし「あとがき」にいたって、ようやく著者のモヤモヤ感の源が共有できた気がしました。
「あとがき」では、いまの社会には巧妙な奴隷制度のような側面があるのではないかという問いを発しています。あからさまな「搾取」はないとしても、職位やお金に向けてやる気を駆り立てたり、それを失う恐怖をちらつかせたりしながら、巧妙に人を仕事にしばり付ける「誘導」があるのではないかと。
奴隷は減ったかもしれないが、奴隷的な人間は増えた。制度はなくなったかもしれないが、それは各人の思考や習慣として内面化された。
「あとがき」にいたっても、なお「あなたが『自分の仕事』だと思っているものは、誰かがあなたに見せている巧妙な夢ではないですか?」と、けしかけて来る。そしてもちろん、答えの出ないまま最後のページになる。なんという本でしょうか。
しかし不思議と、元気をもらえる本です。われわれが、できれば時間をとって考えたいと思っているテーマを、われわれの代わりに考えてくれているせいでしょうか。著者は、ところどころ話が循環したり矛盾したりしながらも、深みにはまりかねない問いを発し続け、人に話を聞き続け、考え続けていきます。その歩みに付き合いながら、こちらも「そうだそうだ!」「そこはどうかな……」とつぶやきつつ、自分なりの「自分をいかして生きる」道を考えられる。そんな本でした。