ミニレビュー
ちょっと引っかかる日本語たち
日本語は、乱れているのか進化しているのか。
ことばの誤用・乱用は、新しい用法として全て認めるべきか、どこかで線を引くべきか。
そういう話題を柔らかい口調(とはいえ厳しい批判も含みつつ)で語ったエッセイ風の本。「そうだそうだ」「そうだったのか!」「そうかなあ…」などと思いつつ、楽しみながら読めました。
言葉の力
本の筋とは関係ないのですが、言葉の力の強さを感じたところを一つ引用します。
私たちは普通、自分の母親を「お母さん」という形で(ないしその方言系で)呼びますが、これはかなり程度の高い敬語(尊敬語)ですから、このように呼んでいるかぎり母子の間が決定的にこわれるということはあり得ないことです。
……
ためしにこの「お母さま」、「お母さん」でもいいのですが、この言葉を使って母親を怒鳴りつける真似をしてみてください。俳優のせりふの練習のつもりでひとりでですよ。うまくできないでしょ?できないものなのです。
そして、明治・大正のころの一年生用国語の教科書に「オカアサン」という題の教材があったことが紹介されています。
アカンボノトキニ、ダイテチチヲノマセテ クダサツタノハ ドナタデスカ。
アタタカイフトコロノナカヘイレテ、ネンネコウタヲウタツテクダサツタノハ、ドナタデスカ。
……
ソレハオカアサンデス。
オカアサンハワタクシヲカハイガツテクダサイマス。
ワタクシモオカアサンヲダイジニシマス。
(一部省略)
こういう文句を繰り返し唱和していれば、親子の絆も強まりそうですね(親が子を大事にする文章も無ければ不公平かな)。
#現代は親子関係もいろいろあるので、こういう文章を教科書に掲載するのは難しいのかもしれません(いまどきの小学校の運動会では、親子一緒にお弁当を食べないって知ってます?)。ここでいいたいのは「言葉の力の強さ」です、念のため。