ミニレビュー
このタイトルの深さについて、コンセプトノート「社会人」に書きました。
経済でなく社会の大きな流れを見据えよと説いている本です。
その「大きな流れ」とは何か。「はじめに」から要約すると
・若年人口の減少
・労働力人口の多様化
・製造業の変身
・企業とそのトップマネジメントの機能、構造、形態の変容
だそうです。
本文ではこれらの大きな流れが雇用、製造業、企業(およびそのマネジメント)などに与える影響を論じています。
その中から、起-動線的興味にかなうところを幾つかピックアップしてみたいと思います。
■『知識社会では、学校に終わりはない。』
学べ学べと何回も言われます。90歳を超えてなおこのような慧眼ぶりを発揮されているドラッカー氏に言われるとぐうの音も出ませんね。
とにかく産業構造および人口構成の変化から考えて、継続的な学びが必要であるのは、どうやら確からしいです。
■企業によりかかるな
このメッセージは幾つかの箇所から読み取れます。例えば:
全体として知識労働者の労働可能年限のほうが、雇用主たる企業の寿命よりも長くなる。歴史上初めてのことである。
そもそも寄りかかろうにも、企業のほうがもたない。だからこそ個人が継続的に学び続けることの重要性を指摘しているのです。
あるいは、「企業は人間的な成長の場たりえない」という視点からも:
知識社会においては、企業は生計の資を得る場所ではあっても、生活と人生を築く場所ではありえないからである。それは、人に対して物質的な成功と仕事上の自己実現を与えるし、またそうでなければならない。しかし、そこだけでは、テニエスが一一〇年前に言ったコミュニティを手にすることはできない。それは、あくまでも機能を基盤とする一つの社会であるにすぎない。
※「テニエスが一一〇年前に言ったコミュニティ」というのは、人がコミュニティを必要とすることを最初に指摘した『最高の古典』“Community and Society: Gemeinschaft Und Gesellschaft”という本で語られているそうです。
これは「職場コミュニティの限界」という段落の一説ですが、この前の数ページで都市社会のコミュニティがうまく成立してきていない現状が述べられています(知識労働者のコミュニティとして氏が期待しているのはNPOなのですが、それはここでは割愛します)。
ネクスト・ソサエティを生きる知識労働者は、これまでのようにほぼ企業と家族(職縁と血縁)にだけ属していては人生の充実は見込めないということです。